岩本 光弘 (いわもと みつひろ)
全盲ヨットマン太平洋横断無寄港で世界初!
クラウドファンディングで資金調達を行い、2019年、アメリカ・サンディエゴから福島県いわき港までの13,000㎞の航海を無寄港のセーリングで見事に成功させた。
ジャンル
経営・ビジネス | ダイバーシティ |
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スキル・教養 | モチベーション、健康・メンタル |
キャリア・教育 | 人生・働き方 |
スポーツ | 夢・チャレンジ、モチベーション |
主な講演テーマ
D.R.E.A.M~自分の殻を破るための5つのヒント~
挑戦しなければ、失敗もしないし、嗤われることもありません。でもトライすること、夢をもつことを恥ずかしがってはいけない。誰に、何を言われても、夢を持つことをおそれないでほしい。
海外の憧れが強く、盲学校時代にアメリカに留学。帰国後英語を忘れたくないと語学学校に通い、そこで出会った女性と結婚。40歳で公務員の職を捨て、海外移住。ヨットにはまり、太平洋横断の夢を見て、ドキドキしながら日本に手紙を送った。そしてついにニュースキャスター辛坊治郎氏と太平洋横断に挑戦。この時は失敗し挫折を味わうが、7年後新たなドリームサポーターDoug氏と共に再び挑戦し、成功する。
目の前に何があるのか見えなくても、ひとつ勇気を出して手を伸ばしてみる。触れてみる。全てはそういったちいさな勇気が、芋ずる式にクリエイティブな結果へと繋がっていきます。
命の尊さ、わたしの尊さ
私は13歳の時に残存視力を少しずつ失い始めました。大好きな野球をやっていてもボールが見えずに三振ばかりで、味方に怒鳴られたりもしました。それでも僕は「ボールが見えない」とは言い出せなかった。だんだん、前が見えずに電柱にぶつかっては人と勘違いし謝ったり、歯ブラシに歯磨き粉がつけられず悪戦苦闘。それでも現実をどうしても受け入れられませんでした。自分の将来がどうなるか、不安で仕方がなかった。人の迷惑にしかならない人生だったら、死んだ方が良いとさえ思いました。絶望の淵にいた頃、ぼくはこう思いました。生きる意味などないー、と。ついに全盲になった16歳の夏休み、橋から海に飛び込んで自殺しようと、バスに乗って橋に向かった。でも、どうしても死ねなかった。そのあとは少しずつ、私は変わっていった。私がなんで、どうやって変わっていったのか…。生きていると必ず障壁にぶちあたりますが、その時に、どうやって物事をプラスに考え乗り越えていくのか、僕の経験で培った「ポジテイブなものの考え方」をお話します。
本当に大切なことは目に見えない
「きずな」は目では見えません。でも、確かにそこに在る。目を閉じてみましょう。何が見えてきますか?隣のひとの気配や、今朝話した友達や先生の声はどんなだったか。どんな感情がこもっていたか。楽しそうだったか、元気がなさそうだったか?目が見えない状態で、誰かの手を握ってみる。手は、ただ単に5本の指がついている物体ではありません。人によってぷくぷくしていたり、熱かったり冷たかったり、その人特有の印象があります。友達に悩みを相談したときどんな気持ちになったか。沢山一緒に過ごした時間や、友情は、カメラで撮っても写りません。でも、確かにそこに在る。目に見えない大切なものを見つめ続ける感受性と、ないがしろにしない勇気を、皆さんにはいつまでも持っていてほしいー、というお話を、全盲になった私の経験を通してお話します。
講演料
30万円以上から60万円未満
プロフィール
アメリカカリフォルニア州サンディエゴ在住。
全盲のヨットマン。多感な思春期である13歳の時に残存視力を少しずつ失い始め、16歳で全盲となる。当時は自分が視覚障害だという現実を受け止められず、ある日母親から「安全に歩くためにはこの杖を使いなさい」と言われた時も「俺はめくらなんかじゃない!」と杖を投げ返した。
ついに全盲となった16歳の夏休み、人の迷惑にしかならない人生なら死んだ方がましだ、生きる意味などない、そう思った私は、橋から海に飛び込んで自殺しようと試みる。しかし、怖くてどうしても死ねなかった。
そんな少年時代の経験を経て、やがて私は、どんな出来事にも意味を見出す事で、自分の人生を絶望から希望に変える事が出来るのだと気付く。
現在、日米の小中学校・会社や病院での社員研修などで、生きることの意味や価値を伝えながら、人々に勇気と希望のメッセージを伝え続ける。ブラインドセーラーとしても活動。2013年にはニュースキャスター辛抱治郎氏と夢のヨットでの太平洋横断に挑戦し、グジラと衝突し11時間救命ボートで漂流した後、海上自衛隊に救助される。ハーフマラソンやトライアスロン、アイアンマンにも挑戦し続け、何事にもチェレンジする勇気と実行力の価値を、身をもって周りに伝え続けている。
また、経営者やアスリートに向けてのメンタルタフネストレーニングも行っている。
経歴
1966年 熊本県天草市に生まれる。
1979年 13歳で残存視力を失い始める。
1982年 16歳で全盲になる。橋の上から飛び降りようとするも断念。
1988年 21歳で熊本県盲学校専攻科理療科卒。
1989年 22~24歳の時に広い世界を見たいと、奨学金を得てSan Francisco State Universityに2年間留学。
1991年 25歳で富士山登頂
1992年 25歳の時に筑波大学付属盲学校で教員として以後14年務める傍ら、青山学院大学で心理学を学ぶ。
2002年 35歳で「障害者と健常者が共に楽しむマリンライフ」が理念であるヨットライフ千葉の存在を知り、東京から千葉に移住してアメリカ人である妻と一緒にヨットを始める。
2006年 39歳で1歳になる娘の将来を考え、カリフォルニア州サンディエゴに移住。
2013年 46歳でニュースキャスター辛坊治郎氏と太平洋ヨット横断に挑戦。
2017年 50歳でアリゾナフルアイアンマン完走
2019年 52歳でダグラス・スミス氏と太平洋ヨット横断に再チャレンジし視覚障害者として世界初となるヨットでの無寄港太平洋横断成功の偉業達成。
2019年 52歳で内閣総理大臣賞受賞
https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/31/08/__icsFiles/afieldfile/2019/08/22/1420210_001.pdf(文部科学省より)
2020年 53歳で植村直巳冒険賞受賞
https://www3.city.toyooka.lg.jp/boukenkan/pages/special/special19.html(植村直巳冒険館より)
2021年 53歳で天草市特別表彰受賞
https://www.city.amakusa.kumamoto.jp/kiji0037722/index.html(天草市より)
【資格】
・あん摩マッサージ指圧師
・はり師
・きゅう師
・鍼灸教員免許
・アマチュア無線技士1級免許